気仙沼から平泉まで

今週のお題これが私の至福の時
さいころ、親に連れていってもらった平泉、中尊寺の讃衡蔵で、千手観音を初めて見て、立ち止まった。とにかく手がいっぱいあって、なんでこんなことになってしまったんだろう、どうして収まりがつくのだろう、これからどうするつもりなんだろう、とかって、当時の思いはうまく表現できないけれど、幼い心は震えたのだと思います。それで、その後何度か訪れるたびに千手観音の前に立つと、その幼いときの思いがよみがえって、それは至福といっていい感覚なのです。連れの人を待たせるわけにはいきませんから、長くは立ち止まれませんが、観音様に対してか、幼い自分に対してか、ちゃんとあいさつする自分がいます。